お侍様 小劇場 extra

    “恋の意味さえご存じない” 〜寵猫抄より
 


 猫の恋の季節は春と秋なんてよく言われますが、何たって生まもの、もとえ、生きもののことなので、厳密にはそうそうきっちりと決まったもんじゃないのだそうで。ググってみてウィキさんに訊いたところが、猫の場合は、1、2月と5、6月、それと8、9月に訪れるのだよという投稿が載っていた。そうか、それでこのところ、ご近所のハニーたちが明け方や晩にやたらと甘い声を出してた訳だ。暖冬や温暖化のせいじゃあなかったのね。



 島田せんせいは、執筆という仕事を生業にしているため、原則として、決まった時間に会社へ向かうという生活を強いられてはいない。出版社との打ち合わせだとか、講演がある、はたまた ホテルやどこか外でのインタビューを申し込まれたといった場合は、指定された時間に指定された場所へと出掛けることもあるにはあるが。中堅どころとしての地位のようなものも確立しだした、いわば脂の乗って来たクラスの作家先生なせいか、さして締め切りに追い回されることもないまま、悠々自適、マイペースでの執筆生活を送っておいで。同じ時期に複数の仕事を抱えていても、締め切りぎりぎりまでかかった試しのない、律義で堅実なお人だから…というお声もあるらしいが、その辺りに関しては、破綻せぬようにという絶妙な制御を、専属秘書殿がこなしておいでだからという貢献度も高く。そんなこんなのお陰様、こちらの先生の場合の“執筆作業”は、事務仕事や記者さんの手掛ける社会記事ほど切迫した締め切りに追われてはいない、おおむねは好きな手法で…つまりはマイペースで書くものとの認知をされており。起床時間や就寝時間も自分で決める、ある意味 自由人なので。

 「…?」

 昼間の時間こそ長くはなったが、まだまだ夜の明ける時刻はびっくりするほど遅いままの立春前。やっとのこと、カーテン越しの窓の輪郭が明るんで来たらしき早朝は、名ばかりの春を示してか、室内の空気もひやりと冷たく。何か予定があった訳じゃなし、のんびりと寝入ったはずの身。だのに、何でまたこんな時間帯に目が覚めたのかと、自分の反応に合点の行かぬ勘兵衛だったりし。同じ夜具の中、働き者で早起きの連れ合いはまだまだ健やかな寝息を立てているというに、そんな彼より早くに目覚めるとは珍しい。用を足したい訳でもなし、布団から出ていた肩やら鼻先やらが冷たくてということもなし。その懐ろで熟睡中の恋女房の、肌の温みのまろやかさと、触れ合っている箇所のバランスが、そりゃあもうナイスな案配なので。それを保持出来ぬことになるくらいなら、寝直しのためにと寝相を動かす気も起きない…だなんて。聞きたくもなかったナチュラルな惚気を楯に、やはり起きてしまった理由が判らぬと、不審に思っておいでのせんせいだったが、

  ――― …ぁん、にぃあ。

 そんな静謐の中、遠くにお耳で拾えたものがあり。意識をして耳をすませば、

  ま〜う、な〜う、と

 甘ったるい鼻声のような、古いレコードの厚みある低音を思わすような、そんなお声が響いて来たので、

 “……ああ、なんだ。”

 そうか猫の春鳴きかと、やっとのこと合点がいく。意識して聞いておれば、複数の声が遠く近くに聞こえるくらいだから、1匹だけの気まぐれ、誰ぞへ甘えているそれでもないらしく。まだ豆まきの前という、暦の上でのみの春だろに、こんなにも早いものだったとはと、何だか意外な発見をしたような心持ちとなった。物書きでも関心のないことへはとんと不勉強だ…というのは今更な話だが、春猫のさかりがこうまで早いものとは知らなかった勘兵衛であり。

 “…にしても。”

 確かにここいらは、犬を飼っておいでの家がないせいもあってか、猫の姿が結構見受けられる土地で。どの子も毛並みがいいので飼い猫ばかりではあろうが、ご近所なほどそうそう小まめに出歩かぬ自分が“見受けられる”と思うほどだから、奔放な放し飼いが多いということでもあろう。そんな土地柄だとはいえ、自慢じゃないが遅寝の多い自分が、なのに目を覚ましてしまうほどの声がした…ということは、よほどの間近にて くっきりとした声で鳴いた子がいたということになりはしないか?と。ぼんやりと検証しつつ、その意識が再びとろとろと心地のいい眠りへと取り込まれ始める。何たって、その懐ろには抜群に心地のいい温みと愛しさをたたえた存在が収まっており、働き者なその彼がまだ寝ているということは、自分はまだまだ寝ていていい頃合い。自分の意味のない早起きで叩き起こすこととなり、着替えだ新聞だ朝食だと余計な仕事をさせるのも忍びなく。何よりこの時期の明け方の眠気には勝てぬ。仄かに明るさ増した中、ほんの鼻先にその輪郭の見える存在の、甘く香り立つ金の髪へと頬を寄せれば。

 「…サスガですねぇ。気がつかれましたか。」

 そんな声がして、温もりそのものがもそりと動いた。おや、さすがは気配に聡いと、こちらは眠気に埋もれ直しかかっている吐息を勘兵衛がこぼせば。それが耳元へと触れたのへ、ふるると肩震わせた七郎次。まだしっかと覚醒しきったわけではないためか、とろりとした眠気の滲んだ笑みを口許や頬に浮かべるところが、何とも言えぬ甘いやわらかさを見る者へと投げかけて。甘えさせてと誘われたようで、ではと応じてのこと、今はさらりとほどかれている金絲へ触れるだけの口づけを落としてやれば。そのためにと少しばかり引き寄せた身が、仄かなためらいか微妙に強ばって見せたものの。そのまま くすすと小さな笑いに震えただけ。跳ね上がって驚くほどの反応ではないのは、まだ意識が目覚め切ってはないからか、それとも 今更含羞みもないというレベルへ、何とか慣れて来たせいか。身じろぎに合わせ、上掛けの擦れるさわさわという音のみがかすかに響く寝間の中、

 「気がついた、とは?」

 間近にあるのに低められた囁き、それがよく通るよにと耳元近くで訊いたところが、七郎次にはくすぐったかったか。更なる身じろぎをしたそのまま、逃れた先の勘兵衛の懐ろへともぐってゆこうとする。すりすりと寄り添う格好となり、こちらの足へと柔らかな内肢が触れて来たのへと、こちらもついつい気持ちが攫われそうになったところへ。くすすとひとしきり笑い足りたらしい女房殿が寄越したお返事が、


  「あの声の主に、ですよ。」

   …………………はい?




       ◇◇


 限られた期間のみ恋を囁く声だからか、日頃はあまり聞かれぬトーンの、どこか濃い響きで“ま〜う・な〜う”と甘く鳴く猫たちで。そういった理屈は判るし、それだと悟れば何ぁんだと…ともすれば赤子の泣き声にも聞こえかねなかったからこそ、何だなんだと気にした不審感もゆるんで、落ち着いて聞き取れもするそのお声だが。

 「??」

 わざわざ寝床から起き出し、ほらこっちですよと七郎次に導かれたのがリビングであり。それでなくとも朝も早よから、しかもしかも邸内に。自分らの他に一体誰がいるのかと、ますますのこと怪訝そうな顔になった勘兵衛の耳へも。先程から聞こえていた猫の声が、おやと意外なほど聞き分けのつく鮮明さにて、一際くっきりと聞こえて来。これは、いや待てそんなことがあるものか。だがだが、この鮮明さはどうだろか。事実と感情の葛藤が、ちいとも収まらないうちにも、問題の部屋、リビングの中が見通せる、刳り貫きの戸口前へと至った勘兵衛。真っ直ぐ真正面に位置するは、中庭へと向いた側に居並ぶ大きな掃き出し窓たちで。そこへも夜中の寒さ除け、冬用のカーテンが揃って引かれていたが。よくよく見れば…中の1つが少しほど浮いており。時折、さわさわ揺れるのは、その向こうに何物かがいるかららしく。何だ何だと眉を寄せ、戸口近くの壁にある、照明のスイッチへと手を伸ばしかかった勘兵衛だったが、


  ―― な〜う、ま〜う・にあ〜vv


 これ以上はなかろう至近距離、正しく同じ居空間からしたその声へ。え?とその身の動作が止まる。そんな彼の傍らから、すいと身を離してのすたすたと、問題の窓辺へ歩みを進めた七郎次がカーテンへまで辿り着くよりも前に、

 「なぁう?」

 もさ・もしょ、ばたぱさと何とも勝手の悪そうなもがきようにて、もぞもぞと揺れたカーテンの陰から、ややあって ぷはっと自主的に出て来た誰か様。本来の姿であれば、てんてん・ちょんてんという まろぶような駆け方で。だがだが家人である勘兵衛や七郎次には、とたとて・ととと…という相変わらずに心許ない歩きようにて。遊しょぼ遊しょぼと嬉しそうに小さな手を延べて、駆け寄って来たその子こそ、

 「きゅ、久蔵?」

 ひらんとめくれたカーテンの向こう、黎明のそれだろ仄かな明るさを背に負うた和子が、姿勢を低くしつつ屈みながら、慣れた様子で広げられた七郎次の腕の中、ぴょいっと飛び込んでの抱え上げられる。収まりよくと引き寄せられた懐ろへ、すりすり甘える姿も彼らにはお馴染みの、小さな坊やの久蔵くんその人であり。ふくふくとした頬の上、潤みの強い瞳や小さなお口をたわませて、にゃは〜と楽しそうに微笑いつつ。綿毛のような金の髪を乗っけた、愛らしいおでこをすりすりと、優しい七郎次お兄さんの胸元へとこすりつける様子には、いつもと変わったところなぞ見受けられないものの。

  ――― あ〜う、まう、と

 これは窓の外から聞こえた別の猫の声には、お顔を上げるほどの反応示し。それからそれから、きょろきょろと辺りを見回し始めたものだから。何だなんだその反応はと、先程の怪訝そうなお顔をますますと、懸念の滲んだそれへとしかめた勘兵衛だったのは言うまでもなく。そして、そんな彼だったことへこそ、ああやっぱりと思ったらしき七郎次が、

 “困ったお人だvv”

 懐ろの中、よいちょと立っちしている坊やの小さな体の陰で顔隠し、苦笑したのも言うまでもなかったり。

 「…儂が起きてしまったのも、久蔵の声でだったのか?」
 「ええ恐らく。」

 不自然な鳴きようだったから、それで余計に耳についたのかも知れませんねと付け足した、七郎次の懐ろの中。小さな王子は自分の小さいお手々を口許へと持ち上げており。指を吸う子じゃあなかったが、大方、半端な早起きで調子が狂ってでもいるのだろ。そんな態を見せたのも束の間のこと、
「うにゅ…。」
 自主的に目覚めた上での、何かしらの楽しい秘密ごっこでもあったの、楽しんでおいでだったようなものなのか。七郎次に抱えられてたところまでは、赤いお眸々もきょろんと見開いてた坊やだったのだが。お外もじわじわと明るくなってゆき、日常がやって来た気配を察したのと引き換えに、

 「〜〜〜〜〜。」
 「おやや、おネムかな?」

 小さなその身をうんうんと目一杯のばしつつ、お口をくああ〜っと満開にするほどの大あくびを披露すると、ふしゅんと一気に萎えての“眠たいぞモード”へ転じてしまった可愛い子ちゃんであり。やわやわな頬を惜しげもなくの押し潰し、懐ろ深くへ凭れかかってくる小さな温みへ。そちらもそちらで、青い眸細め、よいよいよいとなと ゆるやかに揺すってやりつつ、まろやかなお顔であやしておいでの恋女房なのがまた。自分だけ蚊帳の外に置かれているよで面白くなく思えたらしき誰か様。

 「………七郎次」
 「はい。」

 もう目もお覚めのようですね、では朝ご飯としましょうかなんて。調子よく話を進めかかるのへ、ちょっとお待ちよと言わんばかり、不服そうなお顔の御主なのも…実のところは織り込み済みの古女房殿だったりし。

  どうかなさいましたか?
  どうかではない。

 「まさかとは思うが、久蔵は…。」
 「まだまだ“盛り”なんかじゃありませんて。」

 ああやっぱりな、そっちを憂慮なさいましたかと。苦笑混じりに ゆるゆるとかぶりを振って見せ、

 「見た目がすべてとは言いませぬが、こんな幼いまんまの見目ですよ?」

 情緒的なところがいきなり成熟しての、そういう方面への何かが芽生えた訳じゃあないですようと。はんなりと微笑ったまんま、主人の抱えたらしき杞憂を吹き払って差し上げて、

 「ただ、気になりはするのでしょうね。」

 宵のうちに聞こえるのへと、注意を引かれちゃあ窓辺まで寄ってったりもしておりましたし。鳴きようが面白いのか、聞いてて聞いててとこっちの手を引いてから、今のように甘い声での鳴き方を真似しちゃあ、ご披露してくれてますよと説明をし。

 「ですが、こんな朝早くに鳴いてたのは初めてですねぇ。」

 よほどのこと、窓の間近にでも聞こえたのでしょうかと。もはやくうすうと熟睡モードの仔猫さんのふにゃんと蕩けそうになっている肢体を肩口に凭れさせ、小さなお背
(せな)を愛しい愛しいと撫でてやっておいで。それへと、

 「あのな…。」

 父上としてはそうそう寛容に構えていられぬか、渋い顔付きを少しも緩める気配はなくて、

 「本人は意味さえ判っておらずとも、
  周囲はそれを拾ってのこと、集まって来たのやも知れぬではないか。」
 「でも、実際には大人の猫なぞおりませんし。」

 ウチに居るのは見た目のそのまま まだ幼い久蔵だけですし、しかも男の子ですからね。どうにかされよう筈もありませんてと。七郎次の側は、他のことでの過保護はどこへやら、こっちの道ではなかなかに泰然としておいで。案ずることなぞありませんてと、その目許や口許へまろやかな笑みをたたえたままでおり、

 「ああそうか、
  このまま春まで朝っぱらからあの声で起こされるのはたまりませんものね。」

 勘違いからでもお友達を呼んでしまわぬよう、真似っこはもうダメだよと言い置いておきますねと、終始変わらぬ落ち着きようでの応対を見せる彼であり。すっかりと寝付いてしまった和子を抱いたままの余裕の表情は、ともすりゃ立派な母親の貫禄さえまとっておいでで、

 “…常に傍らに居る、母役の強みかの。”

 よその人には毛玉のような小さな仔猫でしかないものが、自分たちにはまぁるい背中も稚
(いとけな)い、無邪気でやんちゃで愛らしい和子。元気が一番としながらも、何かにつけて成長の片鱗を見せてくれることがあるたび、一喜一憂している自分らは、もうすっかりとその感覚が 彼の親も同然となっていて。そんな自覚の増す中で、いつも過保護でしようのない奴だと思ってた連れ合いが、いつの間にやらこんな貫禄を身につけていようとは。思わぬところで先を越されたのはちと口惜しいが、鼻持ちならないそれじゃなし。何より、まるで一幅の絵のように様になった、堂にいったあやしようの優しい構図が、見ているこちらの気持ちも暖めるので。

 “まあ よしか。”

 これ以上 騒ぐこともあるまいと。ガウンの下の大きな肩を静かに落とし、勇んでいた気持ちも何とか落着。時計を見やれば七時前という微妙な時間で、眼前の坊やのいかにも心地良さげな眠りっぷりが、こちらの睡魔までくすぐりかねぬ。うなじをおおって背中まで、もさりと垂れた蓬髪の陰へと手を入れて、もさもさと後ろ頭を掻いておれば、

 「もう一眠りなさいますか?」

 日曜ですし、勘兵衛様にもご予定はないのでしょう? とんだ早起きになったことへと、更なる苦笑を滲ませた七郎次のほうは、逆にすっかりと目が覚めてしまっているらしく。寝室へ戻られるのならこの子もと、視線だけを抱えた坊やへ向けたれば。そのくらいは初歩の以心伝心、勘兵衛の側でも心得たとばかり、大きな手を延べ、揺らさぬようにとやすやす引き受けてしまわれて。薄目さえ開けぬまま移動したおちびさんの髪を、名残り惜しげに撫でた女房。支度が出来たら呼びますねと、自分はそのままキッチンへ立つらしく、相も変わらず働き者な彼であり。

 「……。」
 「…? いかがした?」

 それにしては、妙に…名残りを惜しむその間が長くってて。眠る仔猫のほわほわとした軽さや温みへ、あらためての目許和ませ見下ろす勘兵衛が、ふと それへ気づいての訊く声を掛けたれば。青玻璃の双眸を、殊の外にたわませて微笑った七郎次。その美貌へと吸い込まれそうになった勘兵衛の耳元へ、そおと身を延ばして来ての囁いたのが、

  「いえなに。
   私へは、そのようにまで気を揉んでいただけたことが、
   あったのかなぁと思いまして。」

  「……………おや。」

 よそからのちょっかいを恐れてのこと、やきもきしていただいた覚えはないのでと。勘兵衛からそうまで思われている久蔵をうらやましいと言いたいか、くすりと微笑った彼だったのへ。言って逃げよとした女房の腕、すかさず捕まえた亭主殿、まだ離れ切らないでいた白い耳元へ、


  「そうと感づかせるほど無様を打つよな、青二才ではないわ。

  「……………っ。////////」


 一体何を囁いたやら。たちまち真っ赤になった七郎次へ、硬直したのを幸いに…と おまけの口づけまで頬へと落として。朝っぱらから睦言の応酬とはお熱いことでと。揶揄するようにか春猫の声が、窓のお外に甘く一声、妖冶に聞こえて去ってった、睦月末日の朝一景。




   〜Fine〜  10.01.31.


  *愛妻の日と、猫のさかりと、
   テーマを欲張ったら、
   何だか中途半端な代物になっちゃいましたな。
   これぞ正しく“二兎を追うものは…”でございます。
(苦笑)
   犬も猫も盛りは春と夏なんてよく言いますけれど、
   そういや、ウチのご近所もこのごろ“なごなごvv”とうるさいもんで。
   久蔵ちゃんは意味も判らず真似してるらしいです。
   ……そういや、某様んチの猫さんも、
   真似っこしていてシチさんから上手に窘められてましたね。
   こっちもガンバだ、七郎次さん!

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